【歌舞伎界のプリンス】市川海老蔵さんの父親・市川團十郎さんの人物像に迫る!

 

映画やドラマ、海外公演までもこなす”歌舞伎界のプリンス”市川海老蔵さん

歌舞伎『鳴神の鳴神上人』をはじめとし、10代の頃の市川海老蔵さんは、幼少時代から続く厳しい稽古と家柄、伝統に耐え切れず反発していたものの、祖父・十一代目市川團十郎さん(本名・堀越治雄さん)の芸の美しさと勇姿に感激し、祖父を目標に掲げその理想を追うため苦しみながらも、その芸に対する姿勢は海外からも反響をよび、数年に数回ほど海外公演を行うこともある、まさにすべての人を魅了する歌舞伎役者です。

そんな市川海老蔵さんは、どんな家庭で育ち、父である故・市川團十郎さんとの逸話があるのか、まずは市川海老蔵さんのプロフィールと人物からご紹介していきます。

市川海老蔵さんプロフィール

十一代目市川海老蔵さん(本名・堀越孝俊さん)は、1977年12月6日生まれの東京育ち。歌舞伎名称「」の当代。屋号は「成田屋」。1983年5月に歌舞伎座で行われた『源氏物語』で初お目見えになり、2年後に七代目・市川新之助を襲名します。1996年3月に幼稚園から高等部まで青山学院で過ごし、高等部から堀越高校に転校します。1997年3月に堀越高校を卒業し、2000年に行われた『源氏物語』の光君をつとめ会場を連日超満員となり、歌舞伎ブームの火付け役となりました。2007年3月フランス・パリのオペラ座で父・市川團十郎さんとともに初の海外公演を実現し、『歓進帳』の弁慶で「紅葉狩」を披露し絶賛を浴びます。2009年に放送された木村拓哉さん主演のTBSドラマ『MR.BRAIN』に、民放局初の連続ドラマ出演を果たします。

2009年11月19日、元フリーキャスターの小林麻央さんとの交際が報じられ、同日中に連名で結婚を前提に交際し婚約することをファックスで発表しました。そして年が明けた2010年1月29日に正式の婚約発表の記者会見を開き、同年3月3日に婚姻届を提出。7月29日に結婚並びに披露宴を執り行いました。長男・勸玄くんと長女・麗禾ちゃんを授かりました。

芸に対する姿勢

10代の頃、長く続く自分の家庭の伝統や家柄などの重責に耐えきれず反発していました。しかし、祖父・十一代目市川海老蔵さんの美しい芸やその勇姿に感動し、祖父を目標に掲げその理想を追いかけ、現在も苦しみもがき続けているといいます。

以前は舞台に上がることすら苦痛であったものの、真剣に歌舞伎に打ち込むようになった今、プライベートの方が苦痛になっているといいます。これは普通の事なのか五代目・坂東玉三郎さんに悩み相談したところ、「あら、それ当たり前よ」と言われ安心したと話しています。また、本格的な筋力トレーニングやヨガも行っており、雑誌『Tarzan』などの表紙を飾りました。成田屋のお家芸『歌舞伎十八番』のうち、今日まで上演されなくなった演目を復活上演させ積極的に行っています。

趣味・嗜好

特技はバスケットボール、趣味は相撲観賞。学生時代はバスケットボール部に所属していました。市川海老蔵さんは大のジブリファンで、以前『おしゃれイズム』に出演した際に、『崖の上のポニョ』の非売品の人形と宮崎駿監督が製作する際に使用した鉛筆をプレゼントされ、涙ぐんで喜んでいました。2013年4月9日に「アメーバブログ」を開設し、1日に10回以上の更新頻度が高く「アメーバMVB」を獲得しました。

市川海老蔵さんの公式ブログはこちら→https://ameblo.jp/ebizo-ichikawa/

市川海老蔵さんは父・團十郎さんよりも祖父似?

出典:All About

当時海老蔵さんは、父である十二代目市川團十郎さんよりも、祖父の十一代目團十郎さんによく似ていると周りに言われ、海老蔵さんの母親によると「神経質で鋭利で繊細」と話しています。また海老蔵さんは、「疑問を感じると熱心に質問したり、いい加減に話を進めたりしない。」などと、初役に挑むときの姿勢や資料を揃えるところから始める姿は十一代目と似ているとのことです。

十一代目・市川海老蔵さん暴行事件

2010年11月25日未明、市川海老蔵さんが元暴走族の男に暴行された事件で、「関東連合」の存在が世間に広く知られるきっかけとなった事件です。海老蔵さんは西麻布の飲食店で、暴走族グループ「関東連合」の元リーダーの男と同席中にトラブルに巻き込まれました。男が連れてきた当時26歳の元暴走族メンバーの男に暴行を受け、左頬を陥没骨折、前歯の損傷、鼻の腫れなど顔面に大けがを負いました。自宅に帰宅後、妻の小林麻央さんが警察に通報し救急車で搬送されました。同日の夜に、父・團十郎さんが記者会見を行い、後日海老蔵さんは顔面整復手術を受け、自身も会見を開き無期限歌舞伎出演自粛がハッピーされました。目黒警察署により、暴行した男の身柄を確保し逮捕しました。2010年12月28日、海老蔵さんが再度会見を開き示談が成立した事を発表し、年が明け東京地裁において被告人に対して第1回公判が開かれました。一時は被告人を保釈しましたが、2011年3月14日の最終公判で、被告人に対し懲役1年4ヶ月の実刑判決を下し、被告人が控訴を取り下げしたため刑が確定しました。また、聴取を受けたときの被告人は「殴った事に間違いない」と、容疑を認めたとうことです。

事件の影響

事件の影響は他の歌舞伎役者にも及び、京都銀座で行われるはずだった吉例顔見世興行を降板し、代役に六代目片岡愛之助さんと、十五代目片岡仁左衛門さんが就任しました。2011年1月3日から公演された『初春花形歌舞伎』について「興行できるとはいかなくなってきた」と休演を示唆していましたが、海老蔵さんの会見後、松竹側から正式に公演の中止が発表され、特別公演『坂東玉三郎特別公演』の発表が出されました。

父・市川團十郎さんとの関係

生前、父親である市川團十郎さんとの海外公演などで一緒に舞台に上がったときに、演出のことなどでよく揉めることがあったと話していますが、團十郎さんが海老蔵さんの意見を受け入れてくれるときもあったと言います。しかし、その時の家族の雰囲気はよくなかったといいます。それでも、反発していたときは優しく見守ってくれていた團十郎さんに対して感謝を述べています。

婚外子が発覚した際、寛大な態度を示した團十郎さんも2007年に海老蔵さんが浴室でケガをし、歌舞伎公演を降板したときは激怒し「公演に穴を空けたんだから、自己管理がなってない。今回は同情できん。」とコメントしていました。また、海老蔵さんが2010年に発生した暴行事件に巻き込まれた際にも「予定されていた稽古に入れないのではないか。事件に巻き込まれたとはいえ、原因を作ったという責任の上では、出演すべきではないと思っている」と前置きし、大変失礼な行動で自覚がないとして海老蔵さんを突き放していました。

市川親子の受賞歴が半端ないって!?

歌舞伎役者としても活躍を続ける市川海老蔵さんですが、父・團十郎さんに劣らない受賞歴を誇っています。海老蔵さんは2007年に、フランスにおける「芸術・文学」の名誉勲章である「芸術文化勲章」を受賞し、同年にはファッション意識の向上やその貢献度によって、ファッションをとおした多くの文化交流をした者に贈られる「ベストドレッサー賞」も受賞しました。2014年には、第37回日本アカデミー賞において、『利休にたずねよ』で優秀主演男優賞を受賞しました。

一方の團十郎さんは、1986年に卓越した芸術作品を制作した者、または芸術の進歩に貢献した者に授与される「日本芸術院賞」を受賞し、2007年にフランス芸術文化勲章の最高等級にあたる「コマンドゥール(騎士団長)」と、国内で社会や公共の福祉、文化などに貢献した者に顕彰される「紫綬褒章」をそれぞれ受賞しました。他にも、松尾芸能賞大賞を受賞したり、浅草芸能大賞なども受賞しています。

父・市川團十郎さんの人物像

十二代目・市川團十郎さんは1946年8月6日生まれで、十一代目・市川團十郎さん(故・堀越治雄さん)の長男として誕生し、父が早世した際には、自らの努力で芸を磨きます。スケールの大きい骨太な芸格が魅力的です。重厚な存在感と愛嬌を併せ持つ歌舞伎俳優で、多くの人から愛されていました。市川宗家のお家芸である『歌舞伎十八番』はもとより、立役(成年男子の役)や時代物、義太夫狂言、新歌舞伎などの多彩な役を演じ分けました。

しかし、円熟期を迎え歌舞伎界の柱として期待されていましたが、晩年に白血病を発症しました。それでも、健康に不安を抱え治療を受けながらも舞台に上がり続けました。

病気を患ってでも貫いたその”芸格”

2004年5月に、長男の『十一代目・市川海老蔵』襲名披露を催した後に白血病を発症してしまい治療に専念します。治療を終えた團十郎さんは、わずかその約半年後に同年10月に開催されたパリ公演で舞台復帰を果たします。しかし、再び白血病が再発し寮生活に入ります。慢性の貧血状態が続いたりと壮絶な闘病生活を送り、輸血を継続させる治療が施されました。

その後、見事に再び病気を克服し、2006年3月に歌舞伎座で復帰会見を行い、その約2ヶ月後の5月に復帰しました。後に妹から骨髄移植手術を受け、三越劇場で舞台復帰会見を開き本格的に復帰を果たしました。

しかしながら、2013年2月3日、肺炎のため66歳という若さでこの世を去りました。同年2月27日に東京都内で本葬が執り行われ、その本葬に先立ち、生前の功績を称え没日の2月3日付で、政府より正五位(位階及び神階における位のひとつ)並びに旭日中綬章が追贈されることが閣議決定されました。

団十郎さん突然の死 跡取り孫抱けず…

出典:nikkansports.com

社会的活動にも貢献していた市川團十郎さん

團十郎さんは、歌舞伎俳優として活動していただけではなく、社会的活動にも貢献していました。團十郎さんは、日本人アイデンティティの拠り所の一つである歌舞伎を、国際化社会になるにあたって役立てて欲しいという思いから、2008年に青山学院大学文学部客員教授を務めたり、大学教育の現場で歌舞伎をとおした日本文化の教育活動などに取り組み、文化庁文化審議会委員として、日本文化の発展を願う活動なども積極的に行ってきました。

また、2011年7月1日に全国骨髄バンク推進連絡協議会の会長にも就任しました。

出演ドラマも半端ない!

歌舞伎舞台では海外公演を行うなどしてきましたが、歌舞伎舞台以外にも様々なドラマなどに出演してきました。1967年(昭和42年)日テレで放送された時代劇ドラマ『遠山の金さん』に、当時”市川新之助”として「遠山の金さん」こと遠山金四郎役として主演を務めました。当時のキャストには、俳優の中山昭二さんや御影恭子さんと共演していました。

また、市川海老蔵さんが主演を務めた2013年公開の映画『利休にたずねよ』で、千利休の師匠・武野紹鷗(たけの じょうおう)役に團十郎さんが特別出演を果たし、これが親子での最初で最後の共演となりました。